留学日記
TOSHITAKAの渡米 結婚式を2月28日にすませ、その二週間後の3月15日の28歳の誕生日にTOSHITAKAは渡米。渡米前に英語の研修を海外でという予定であったが、出発前の慌ただしさで、結局国内でのプライベート・レッスンだけになってしまった。 これまで海外に行った事がなく、日本から遠く離れたアメリカの田舎町で生活をしていけるのだろうかという心細さばかりが膨らんでいく。 J・F・ケネディ空港で、ニューヨーク事務所のN社員が迎えてくれていたので、ホッと安心した。その日は、日本料理店「吉兆」で事務所の方々が歓迎会を開いてくれた。マンハッタンは、なんと忙しい町なんだろう、という印象を受ける。 2日間ほどロックフェラービルの中のOFFICEで事務手続きの研修を受けた後、いざKnoxvilleへ。幸いにもN社員が同行してくれた、有り難い。 Knoxvilleに近づいて行くが家がまったく見えない(^^;)。 飛行場には、留学先の テネシー大学高分子工学科 W教授の研究室の学生Mさん(日本人)が出迎えてくれた。 車で20分ほど走るとKnoxville市の中心にあるテネシー大学へ着いた。 その後、Nさんはニューヨークへ戻り、私は取り残された感じで急に一人になり寂しさをおぼえた。 果して、一人で見知らぬ田舎町で、言葉もろくに話せないのに暮らしていけるのだろうか? とりあえず、ホテルに戻る。その日の夕方は日本人留学生のMさんと近くのレストランへ行った。 アメリカに来たのだからと、ステーキを食べたが、焼きかたが良くなかったのか、疲れていたのか、美味しくなかった(^^;)
次の日、これからの留学生活でもっとも重要な研究テーマについてW教授と話し合う。英語が良く聞き取れず、なかなか思っていることが英語にならないもどかしさを感じる。 W教授はフッ素系の高分子合成の研究をして欲しいような話をされており、どうも、事前に研究テーマの件での交渉が充分されてなかったようだ。 でも、プラスチックの成形加工の理論解析を研究するようにと言われて来たので、2年間の研究テーマが当初の予定と全く異なることになってしまう不安が黒雲のように広がっていった。
TOSHITAKAの運命やいかに?((((((((((^^;)
見知らぬ田舎町で生活の不安 英語で良く表現ができないため、黒板に自分のやりたい事を書き並べた。 結局、一週間後のミーティングでテーマの調整が終わり、当初予定していたテーマに近いものが出来るようになって一安心。(*^_^*) 研究のテーマが決まり、落ち着いたころ、ホテルから大学の妻帯者用のアパートに引っ越す。 家具付きの 2 Bed room で家賃は月200ドルだった。 広さは充分、大学まで歩いていけるので便利。 次 に、銀行口座を開設。 が、小切手を使った事もないのにChecking
Account のシステムがわからず、それに加え、早口で沢山の口座の種類を説明されてパニック状態。 次に、日常用品などの買い物。 が、アメリカは、車がないと話にならない社会。 同じ研究室のYさんの奥様にお願いをして一緒に買い物へ。アドバイスを受けながら、トランク一杯になるほど、食料や生活用品を買う。 電話の開設やSocial Security Number (ID)の取得やら、もろもろの雑事を、同じ研究室の学生さんに助けてもらいながらこなす。 ここ南部に住んでいる人は、Southern Accentが強く日本で習った標準的な英語には、ほど遠い(^^;) 日本で勉強してきた英語とは、別の言語のような気すらした。 家具屋では、いくらゆっくり話してもらっても聞き取れず、買うそぶりをすると、普通の英語を丁寧にゆっくり話してくれた(`_´) なんとゲンキンな・・…と思う。 それでも なんとか一週間もすると生活に必要なものが揃ってきたし、同じアパートに日本人の学生が3家族もいることがわかり安心した。 銀行の口座にも、会社からwireでお金が届き、研究室の学生さんに助けてもらいながらも、アメリカ生活はスタートし始めた。 だけど、食事には困った(--;) 自炊の経験全くなし、、、。 悲惨な日々の始りだった((((((((((^^;)
ジャンクフードづけの日々 一人で食事をするとなると歩いていける所は、大学の学食、カフェテリアであるが、味がいまいち(^^;) サラダは鳥の餌のようだし(^^;)、ハンバーグもわらじみたいで焼きすぎているし、デザートは人工着色料がたっぷり入っていますよ、という毒々しい色のゼリー、一口食べただけで嫌になるほど甘いケーキ、でも、飲み物はお代わり自由で嬉しいが、まったく繊細さのない食事にうんざり(--;) 朝食は、ともかく一日二食、同じような所で食べなくてはならないのでうんざり。 早くTOMOが来ないかな。白いご飯が食べたいな~(^^;) (TOMO:わたしゃ、おさんどんか(`_´)) スーパーマーケットも歩いて行ける距離になかったため、2週間もすると、閉口してしまった。近くのマクドナルドやケンタッキーにも行ったが、毎日ではほんとに飽きる。(^^;) そんな時、W教授ご夫妻がレストランでの夕食に招待してくださった。大きなロブスターが出てきて感激(^-^)/ 日本で食べたら高いよなぁ、と思いつつ味わう(*^_^*)
毎日 変わり映えのしないメニューだっただけに、久しぶりに食事らしい食事をしたような気がする。
奥様が日本人であったということもRELAXできてよかったし、一人よりは大勢で食事した方が美味しいのである。
会議で大恥(--;) 毎週一回、研究に関しての30分間のミーティングが行われることになった。(^^;) 英語力の不足もあるが、研究に対する基本的な考え方の曖昧さ、知識量の不足などから、教授らのアドバイスを理解できないこと気がついた。文献と本を沢山紹介されるが、どこから手をつけてよいのやら、、、 呆然となる。 まず英語の聞き取りからと思いテレビを買う。 が、何を言っているのかわからず、子守り歌のようになり、すぐ眠くなる(^^;) それに加え、発音にも、同僚のポーランド人の研究者から、厳しいチェックが入る。r とl、 thとsの発音が難しく、取り違えることも しばしば。 彼からは「君はいつも I sink that ~ (私は沈む、、)だね。 thの発音をしなければいけない。 lice とriceとは全然違うよ。」と、いつもからかわれた。 そのポーランド人から面白いMeetingがあるから一緒に行こうという誘いがあり、なるほど テーマも興味深いものだったから出席することにした。 これが間違いのもとだった(^^;) パーカスブルグという小さな町で参加者は20名くらい。皆、40歳から60歳代の大学の教授や企業のトップクラスの研究者で、企業と大学が共同で研究しているテーマの進捗状況の報告と、これからの方向性を決める内容のものであった。(^^;) 20歳代の研究者は、他にいないし、初日にあったパーティーでは皆顔見知りの様子、何故 私はここにいるのか、、、、、。英語は駄目、専門的知識も不足、、、、。3時間のパーティーだったが、なんと長く感じられたことか、、、。 二日目、三日目は、円卓テーブルでの会議。 各自の報告が終わると意見が求められ活発な討論となる。私の番になると、しばし「……」のあと、簡単なコメント(^^;) 会議とディナーパーティーが終わると疲れてベッドにバタンキュー((((((((((((--;) これは、なんとしても英語力をつけなければならないと思い、Meetingから戻ると、Hearing & Speech Center の大学院生を紹介してもらい、週2回プライベートレッスンを受けることにした。 アメリカ人が良く使うイディオムの練習から教えてもらったが、自分の発音をテープにとって聞いてみると、なんとひどいことか、、、、。 これでほんとに上手くなるのだろうか? 不安が入道雲のように広がっていった(^^;)
車を購入、、新車なのに、、、、(^^;)
研究も実験も開始出来るようになり一部の大学および大学院の授業にも許可をもらって出席することにした。化学工学科の授業には、女性の学生が全体の40%もいて驚いた。私の卒業した大学では、同じ工学部応用化学系には、160人中1人しか女性はいなかった、、、。 5月も中旬になるとパーティーシーズンとなり大学の先生方の自宅でのパーティーに招かれる機会が多くなった。 郊外にあるW教授の家にも招かれたが、バックヤードが200坪くらいあり驚く。 そこでバーベキュー・パーティーが開かれたが、こちらでのパーティーは自分の好きな時間に出かけ、帰るのも自由、親しい人とフリーに話して、それぞれ楽しむ。もちろん自己紹介なんてものはなく、日ごろ、話をしない人とも、この時にコミュニケーションをとり親しくなる。服装もラフで居心地が良くて嬉しい。(^-^)/
6月初めにTOMOが渡米することが決まり、1人の場合は適当な食生活で良かったが(オイオイ(^^;))二人となれば、そうもいかない。あちこち買い物するのに、車は必要ということで購入の準備を始める。 日本人の友達に車のディーラーを何軒か連れていってもらう。価格が安いのは、5000ccくらいの中古車。でも大きすぎるので、日本車でもう少し小さいのと思ったが、日本車は性能が良いので値段が高く、特にHONDAは人気があり半年待たないと手に入らないそうだった。 結局、GMのOMEGAという2500CCの新車を購入。 車内は広いわりにエンジンが小さく、負担がかかっているように感じたが、新車なら故障もないだろうと思い予約。 8000ドルだった。 が、新車なのに、塗装のはげている部分を発見!! (^^;) 文句を言うと、「車の運転に何の支障があるのか」と逆切れされてしまった。 それでも粘り、上から同じ色を塗らせたが、日本では考えられないことだ~。(`_´) そう言われてみれば、ドアの色やボンネっトの色が違っていて、まるでパッチワークのような車も見かけたなぁ。 バンパーにいたっては、縦列駐車の時、前や後ろの車の位置をバンパーに当てて確認するためにへこむのを気にする人なんかいない。 気にしてるのは日本人くらいだった(^^;) 合理的といえば、そうなんだが、、、、。 なには ともあれ、車もGET!!!
いよいよ TOMOの渡米(*^_^*)
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