留学日記
海の上の細い橋(^_^;) 、、 キーウェスト
翌日、早々にエバーグレーイズ国立公園を後にして、キーウェストに向かった。 キーウェストはフロリダ半島から連なる群島を橋で結んであるところです。 海の上を直接車が走るような感覚で爽快!! なのですが、1車線の道路だったので対向車がくると怖かったです(^_^;)。 平行して新しい橋が建設中で何年か後には、もっと快適に走ることが出来るんだろうなぁ。 最南端の島まで行きヘミングウェイゆかりの家など訪ねた。 海の色がエメラルドグリーンでトロピカルムード一杯の所でした(*^_^*)。 そこから、また橋を引き返しフロリダ半島に戻って、安いモーテル探し。 二つ星で安い所があって話しの種に泊まってみた。 シャワーしかなくて、床もPタイル敷き(^_^;) まぁ とりあえず清潔そうだったので、我慢我慢。 でも、今日は大晦日だったりして、、。 こちらはクリスマスは盛大に祝うのですが、新年と言ってもさほど大騒ぎはしないので普通の祝日と同じでした(^_^; 日本人にとっては寂しい限り。。 が、そんな感傷にふける余裕がなくなるトラブルが元旦に~~。
橋の上でびくびく、、セントピータースバーグ フロリダを後にして、今度は逆側の海岸を北上。真っ直ぐな道をひたすら走る。 Gas stationも疎らで早めに補給していたつもりが empty スレスレになり焦ってガソリンを補給出来る所を探すが、なかなか見つからない。ハイウウェイからは、もう百数十キロガソリンスタンドが見つからない。 仕方なくハイウェイを降りて探すとセブンイレブンが、、、。 なんとかガソリンを入れて、また走り出すが、今度はエンジンの調子が悪い、、。 アイドリングが不規則でなんだか止まりそう(^_^;) それでも、なんとかセントピータースバーグまで行き、かなり急坂のある太鼓橋のような所を渡ろうとした時、ほとんど止まりそうなエンジン音~~~~! こんな橋の上で止まったら迷惑だよね~ エンジンの調子は悪いし、坂道発進、それに見知らぬ土地で、しかも夜。 どないしょう~~と、心臓がバクバクしてきた。 渋滞していたこともあり、何度かエンストを起こしそうになったが、無事に渡ることが出来て、ホッ。 二人とも生きた心地がしない時間がどのくらい続いたことか。 ヤレヤレ。 翌日、開いていたGas station に飛びこんで整備してもらったけど、あの時は、ほんとに、どうなることかと思いました。
やっと我が家へ 車の調子を気にしながらも、ジョージア州に入りアトランタのプランテーションに寄る。ここは、「風とともに去りぬ」の舞台とだったところで、あちこちにプランテーションの名残がある。原作者マーガレット・ミッチェルさんの記念館には行かなかったが、スカーレットが出てきそうな農場跡を見て、一路テネシーに向けて車を走らせた。 いろいろ、トラブルのあった旅行でしたが、初めて車でモテルに泊まりながらの旅は快適で、やはりアメリカは車社会なのだなぁと実感しました。 早くも、次のお休みはどこに行こうかと、楽しみに思うお気楽なTOMOでしたが、TOSHITAKAは、研究のことで頭が一杯な様子で帰ってきてすぐ研究室に走っていったのでした。 お土産のミッキーたちと
初めての冬休み旅行はこれにて終わります。 留学日記は、まだまだ続きます (*^_^*)
実験の日々(@_@) クリスマス、正月休暇も終わり、いよいよ実験に集中する時がやって来ました。研究室までは歩いて15分ほどの距離、でもノックスビルでは昼間でも -20℃! 歩きながら耳は痛い、手は凍え、新聞を買うためにcoinを自動販売機に入れるために立ち止まっていられないほどの寒さでした。 (TOMOは暖かい部屋の中にいたので、あんまり寒いという印象がなく、原稿を読んで今更びっくり(^_^;)) 1月末のある日、12cmほど雪が積もり交通はマヒ状態に。 雪が溶けないうちに上空の温度が上がったため雨が降り、夜に凍って地面全体がアイススケートリンクのようになってしまった。 少し歩いただけでもツルーっと滑り、坂道では滑りはじめると止まらない(>_<) 翌日には、街のあちらこちらに放置された自動車が、、、この小さな街で2000~3000台の修理の依頼があったそうで、こんな経験は初めてだった。 さて、実験ですがスーパーマーケットのレジ袋を成形するプロセスであるインフレーションフィルム成形過程の溶融プラスチックの変形過程を高速8ミリカメラ、赤外線温度計、張力計、内圧計、風速計と強力な照明器具を一度にセットしながらの測定実験は一度始めると少しの時間の余裕もないくらい忙しく、外の寒さなど忘れてしまうくらいだ。 平日は、どうにか一人で実験をし、手間のかかる実験を土日にしてTOMOの協力を得ながら続けるのが、この時期の日常でした。 細かい実験ですが、他の人がまだやっていない領域であるので、得られる情報が豊富でかつ貴重なだけに時間の過ぎるのを忘れて1日中暗い実験室の中を走り回っていた。 今まで、ず~~~っと未解決だった現象が、少しづつわかり始めてきたのが、このころです。
レストランのチップ ここでちょっとばかり、レストランのチップのことを書きます。アメリカのレストランで食事をすると、ウェイター、ウェイトレスさんが料理を運んで来てくれた後に、「Everything OK?」とテーブルの近くを通ると声を掛けていってくれます。(^_^;) その都度、料理を誉める言葉を捜して、アタフタするのですが、、、。(^_^;) 他の国では、あまりこういうことはないので、アメリカってフレンドリーな国なのね~、と思っていたら、これは実はチップのためだったんですね。 先日、「What's new ?」 というラジオ英会話のCDを聞いていたら、レストランでのウェイトレスさんたちの話が出てきた。この微笑ましいサービス、時には煩わしくなる場合があるけど、これはチップを多くもらうためのサービスだということ。元々の給料が低く設定されているために、少しでも多くチップを貰おうとする彼らの涙ぐましい努力のなわけです(^_^;) そういえばチップの習慣のない国では、そんなに話しかけて来ないな~ と納得。 お客にとってもウェイター、ウェイトレスさんにとっても、チップを無くして給料を高めにしてくれたほうが良いかも。でも、その分、こちらの支払いが高くなるのは嫌だなぁ。(^_^;) お料理の味は、お世辞にも美味しいとは言えないです。 味が極端で塩辛すぎるか、甘すぎるか、味がないか、です(^_^;) ステーキを食べるときは、お醤油が手放せませんでした。 他の料理でも、味がちょっとねぇ、という時に、ちょっと使うと味が全く違ってきます。 日本の醤油は、世界に誇れるソースだと思います(*^_^*) Bobさん一家との出会い アメリカの生活にも慣れてきたので、アメリカ人とお付き合いをしてみたいね、いろいろ教えて貰えると助かるし勉強にもなるし、と言うわけで、日本人でアメリカ人と結婚されている方に、ホスト・ファミリーを紹介していただいた。 Robert Mallowさんと言い、奥様と二人の女の子がいました。奥様の名前は、Cathy さんで、二人とも、すっごく太っていた(^_^;)。 東京の久留米に何年か住んでいたことがあり、Bobさんは日本語を少し話したので、びっくり。 Bobさん一家と Bobさん一家には、たいへんお世話になりました。 週末には、一緒に晩ご飯を食べたり、ピクニックに連れて行ってもらったり、親戚にも紹介され、クリスマスにも招いてもらいクリスマス・ツリーの飾り付けなど一緒にして楽しい想いをしました。 Bobさんのお祖母さんが入っている老人ホームなどにも連れて行ってもらえて、アメリカの高齢者の姿も垣間見ることが出来ましたし。 それまでは、ただアメリカに居るというだけで、アメリカ人の生活を身近に感じることはなかったのですが、家族ぐるみのお付き合いをさせてもらうことによって、アメリカの中流生活を知ることが出来たと思います。 英語が良く話せない私たちの面倒を良く見てくださったなぁと、感謝の気持ちで一杯です。 やはり日本にいたことがあるので、日本人に親しみを持って下さっていたのかな。 1998年に15年ぶりにKnoxvilleを訪れた時にも、遊びに行ったのでした。当時、幼稚園と小学生低学年の女の子達はすでに子供さんがいたのには、私たちがいつのまにか年をとっていることを実感した次第です。詳しくは アメリカ旅行記をお読みください。他に英語の家庭教師の方たちの写真も。もう20年近くも前の写真です(^_^;) スティーブさんと、背が高いね~ホリーさんと、楽しい方でした~ つづく |