TOMOの渡米準備
結婚式を2月28日に終え、九州へ一応(^^;)新婚旅行に行ったあと、研究所近くのホテルで一週間過ごし 3月15日にTOSHITAKAは渡米。 その後、TOMOは横浜の実家に戻った(^^;) 英会話の学校に通ったり、航空便、船便の荷物の準備に忙しかった。
ちなみに送ってくれたメモに書かれていたのは、 化粧品(肌に合うのを見つけるのが難しい) コンタクトレンズの予備(米国では医者に行ってからめがね 屋に行くので、日本の倍の時間と価格になる) パンティストッキングはアメリカでは高価 ハサミ、包丁、茶碗など和食に使うもの全般(売っているが高く、デザインが悪い) 医薬品(常備薬は少し持ってきたほうが、、、) 着物(けっこう着る機会が多い) 日本食は、ほとんど手に入るが非常に高い お茶、海苔、かつおパック、しいたけ、わかめなど軽いものは送ったほうが良い) 電気製品は、サイクルが違うと困るもの(カセトレコーダーは音が狂う)以外は使用可能。 電気釜も通常に使える。
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とある。 いよいよ6月5日に渡米が決まる。 本社や研究所への挨拶とあわただしく時は過ぎていき、あまりに いろいろなスケジュールがあったため、そのころの事は記憶に残っていない。(^^;) それでも、渡米前の印象的なエピソードとして心に残っているのは英会話スクールでのこと。 通っていたクラスに出席して、渡米が決まったので、今日で最後デスといったら、先生が、じゃぁ 送別会をしようと言ってくださり、他の生徒さんも一緒に近くの喫茶店へ。 ほんの短い期間にもかかわらず、あたたかい気持をいただけて嬉しかった。 いよいよ出発の日、、、。
涙のお別れ いよいよ、パンナムのニューヨーク直行便に乗って、まずニューヨークへ。 これから一人で渡米するんだと緊張しながら成田空港へ。 母 YOSHIさんは私の姿を涙乍らに見送っていたらしい(^^;)
でも、TOMOは、これから経験したことのない新しい生活を思って極度に緊張していたのでした(^^;) 機内では、外人のスチュワーデスさんが多く(^^;)、両隣も外人のビジネスマンで話す相手もいなくて、不安が入道雲のようにモクモクと広がっていき、モンモンとしながら過す。 一時間遅れでJ・F・ケネディ空港に到着。IMMIGRATIONでは、係りの人の英語が全くわからず(^^;) 呆然としていたら、害はないだろうと思ったのか通してくれた。 荷物を受け取って、外に出ると、TOSHITAKAとニューヨーク事務所の人が待っていてくれた。 ずいぶんお待たせしてしまったようで恐縮(^^;)。 事務所の方たちが歓迎会のためにレストランで待っていてくれているとのことで、急いでマンハッタンに向かい、シェラトンにチェックイン。
翌日は、日本から たまたま 研究所の所長さんが出張で来ていたので朝食をご一緒した。これも、ほとんど記憶にないです、申し訳ない。 そして、これから二年間生活することになるKnoxvilleへ向かうことに。
白いご飯に感激 Knoxvilleの空港は、周りになにもなく、空港ターミナルビルがあるだけ。 ものすごい田舎に来てしまったという印象。 空港から街までの道も、森や草原など自然豊かな(^^;)風景で、ほんとに人が暮らしているのだろうかと心細くなる。 それでも、ダウンタウンに近づくとビルが見えてきて少し安心した。
部屋は家具付きの2 Bed Room。 2 Bed Room というのは台所とリビング、それに寝室が2つあるという意味で、その他に小さなStorage room もあった。(バス・トイレはもちろん付いている) 家具は付いていたけど、床はPタイルで寒々しく(^^;)、ソファもなんだかゴワゴワしたレザーだった。 TOSHITAKA:TOMOが来るので万全な体制で準備していたのになあ(T_T) 調理用のレンジは、ガスではなく電熱のコイルが三つあり、その下に大きなオーブンが、、、。 冷蔵庫もこれまたBIG。(^^;) TOSHITAKAが、和食に飢えているようなので(^^;)、ともかくご飯を炊いてみた。 航空便で送った炊飯器が届いていたので、一緒に送っておいたお米を使って炊いてみる。 おかずは、買っておいてくれた缶詰のミートボールをあけてあたため、スープも缶詰(^^;)
久しぶりの白いご飯に感激してくれたらしく、美味しそうに食べてくれた(*^_^*) 車が来たら、買物に行かなくては。 |